当ページは明治の探検家:郡司 成忠(ぐんじ しげただ)について解説しているサイトです。
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明治の探検家:郡司成忠(1860〜1924)
北千島の探検・開拓に身命を賭した軍人。幸田露伴の実兄。
明治半ば、対露北海警備の必要性を感じ、自ら海軍大尉を退役して開拓団「報效義会」を組織する。
しかし、当時の政府、海軍の理解が得られず、やむなく手漕ぎボートで1893年占守島へ向かう。
これが北千島開拓の始まりとなり、成忠は北洋開拓の先駆者と呼ばれた。
西暦 | 和暦 | 年齢 | 主な出来事 |
---|---|---|---|
1860 | 万延元年 |
幕臣幸田成延の次男として誕生。のち郡司家を継ぐ。 弟に作家の幸田露伴、文学博士の幸田成友、妹に音楽家の幸田延、安藤幸がいる。 (詳細は親族の項目参照) |
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1872 | 明治5年 | 13歳 | 海軍兵学寮入寮。 |
1878 | 明治11年 | 19歳 | 軍艦「金剛」にてウラジオストクへ航海。 |
1879 | 明治12年 | 20歳 | 海軍少尉補に任官、軍艦「筑波」にて北米バンクーバーへ航海。 |
1882 | 明治15年 | 23歳 | 海軍中尉に任官、軍艦「摂津」に乗り込む。 |
1885 | 明治18年 | 26歳 | 海軍大尉に任官、「摂津」の分隊長兼兵学校監事となる。 |
1888 | 明治21年 | 29歳 | 海軍大学校入学 |
1890 | 明治23年 | 31歳 | 水雷長として軍艦「高千穂」に乗り込む。 |
1893 | 明治26年 | 34歳 | 北方警備の重要性とその開発を企図して海軍大尉の現職を去り、報效義会を設立。 3月20日隅田川を出発、8月31日北千島占守島に上陸。 |
1894 | 明治27年 | 35歳 | 日清戦争勃発。佐世保鎮守府海兵団の召集を受け、水雷敷設隊分隊長として大連湾に出征。 |
1896 | 明治29年 | 37歳 | ふたたび占守島に上陸。島の農業、近海の漁業開発に努力。 |
1904 | 明治37年 | 45歳 | 日露戦争勃発。カムチャツカに上陸するがロシアの官警に捕えられる。 戦後帰国して義勇艦隊を組織、海事・国防思想の普及に努める。 |
1909 | 明治42年 | 50歳 | 露領沿海州水産組合が組織され、推されて組合長に就任。 |
1914 | 大正3年 | 55歳 | 第一次世界大戦始まる。政府の特殊任務をもってシベリアに赴く。 |
1920 | 大正9年 | 61歳 | シベリアから帰国 |
1924 | 大正13年 | 65歳 | 8月15日死去。特旨により従六位を贈られる。 |
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